今日はタイトルの通り、「人は何故、ミステリ小説に惹かれるのか?」というテーマを考えていきたいと思います。
私は、ここ2年ほど、ミステリ小説9割、その他ジャンル1割で読書をしています。
これほど偏りがあるのには、もちろんミステリ小説の魔力に取り憑かれているからですが。
では、その魔力の正体って一体なんでしょう。
立ち止まってこれまでのことを考えてみると、いやはや、好きの理由が漠然としているんですね。ぼやっと、曖昧なんです。
最初にミステリ小説に興味を持ったのは、約1年前のことです。その当時は、本を読んだこともほとんどなかった。また、なにか自分一人にはどうしようもできない不幸に陥っている最中でした。
そんななか、気分転換に、書店で「そして誰もいなくなった」を購入しました。
あの頃の読書力では、到底読み切れるわけないと半ば諦めから入ったものの、気がつけば食い入るようにのめり込んでいました。
読み終えることができた私は、「世界にはこんなに面白い本があるんだ」と感動しました。
もしかしたら、まったく同じとはいかなくとも、似たような経験をされた方もいるかもしれませんね。
それほど、あの本には魔力があった。
ミステリって、猟奇的できな臭いけれど、創作のなかだから許される美学のようなものが存在する気がします。
この世に溢れかえったほとんどのミステリ小説が、同じルールのもと、物語という風呂敷を広げては畳んでいる。
枠組みのなかで、いかに反論の隙がなく、また、意外性を超えた独自のトリックを展開できるか。そこには妥当な動機があるか。
それこそが、ミステリの魅力、魔力であり、美学なのかもしれません。
日常パートが楽しかろうと、トリックがお粗末なら、ミステリとしては平凡。これが逆なら、まだ合格ライン以上はあるでしょう。
やはりミステリは奥深いものです。
もっともっと、納得感のある解釈が、世の中には広がっていることでしょうね。